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丹羽順子(にわ・じゅんこ)のホームページにようこそ!このサイトでは、環境問題やサスティナブルな暮らし方について、ブログ形式にて思いつくまま書いています。世界中の旅の記録や、映像作品もご覧頂けます。お気軽にコメント、メールお待ちしております。  koko@junkoniwa.net

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September 2, 2008

捕鯨について再び「クジラを捕って、考えた」を読んで

少し前に勢い余って書いたクジラ問題についてのブログ。手厳しい批判も頂いたんですが、今になって考えて見ると、なんだか鼻息荒いだけで、ハズカシイ。クジラ問題に関しては、どうにも出口が自分の中に見えなくてモンモンとしていたんですが、一花屋のふえりこさんが貸してくれた本が救ってくれた気分!!クジラ問題は、日本ではあまり話題にならないけれど、一歩海外に出ると至る所で意見を求められる重要なトピックなので、ここで皆さんにも紹介させて下さい。

その本とは、川端裕人さんという日テレの現役記者が書いた「クジラを捕って、考えた」(PARCO出版。残念ながら、絶版のようです)。借りた時は、「1995年出版の本だし、なんだか古くさいなぁ。あんまり新しいこと書いてなさそう」と思っていたのだけれど、いやいや失礼しました。(ちなみに川端さんは、今では自然や少年時代に見た夢を思い出させてくれる小説を次々と書かれているようです)

この本はほとんどが彼が同行した「調査捕鯨」の体験談なのだけれど、本の最終章「新世代環境捕鯨宣言」に、日本の捕鯨に対して提案じみたことが書いてあります。少し長いのだけれど、多分この人が言いたいことがどんぴしゃり書いてあるので、引用します。

僕はこの時、改めてこんなことを思い起こした。
「環境保護のために捕鯨は必要なのではないか?」
「21世紀のために捕鯨が求められる日が来るのではないか?」
逆説的に聞こえるかもしれないが、僕はこの瞬間初めて本気でそう思った。捕鯨が捕鯨であること、産業であることをやめて、環境保護の中に深く埋め込まれた時、今はまったく相容れないこの二つの「現象」は一つの物として立ち現れてくる、そんな気がした。具体的に言うならばこんなイメージだ。

その時の捕鯨は、基本的に調査捕鯨のスタイルが踏襲されている。科学者たちが中心になり調査を軸に運営して、絶えず捕鯨対象であるクジラの資源状態のモニタリングを続けるのだ。つまり、僕は調査捕鯨の目的である「商業捕鯨の再開のために」という部分を削って、更に調査方法を洗練した上で継続すべしと考えているのだ。これは単純すぎるだろうか?そうかもしれないが、僕はこれが次のような理由で必要であると考える。環境保護論者の中には、すべての捕鯨をやめて放置すればクジラは回復すると信じている人たちもいるようだが、それはあまりにも無責任だ。定期的にモニタリングしてやらないと、そこはクジラの保護区ではなくクジラのデータのない暗黒地域になってしまう。(中略)一方には捕鯨を完全に放棄した世界があり、もう一方には「持続性」の欠片もない捕鯨を続ける世界がある。たぶん未来の「落とし所」はその中間にある。ちょっとだけ捕らせてもらって、それ以上にクジラを、生態系を知る。結果的にクジラの未来にも、人類の未来にも役立つ、そんなやり方があるはずだ。というわけで、僕はもう一度ここでこの逆説的な言葉を繰り返す。「環境捕鯨が世界から求められてる日がいずれやって来る」と。

捕鯨反対論者は「結局は商売じゃないか!クジラがかわいそう!生物を守れ!」と商業捕鯨につながる危険性のある調査捕鯨を認めず、捕鯨擁護論者は「クジラを食べて何が悪い!牛や豚を食べている欧米人に言われたくないわい!」と感情的になる、という平行線で妥協点が見えないのが、クジラ論争。でも川端さんが持ち込んでいるのは、二者択一でなくて、全く新しい視点。「調査捕鯨か商業捕鯨か」の主張に分かれてにらみ合うのではなく、「環境捕鯨」という新鮮な切り口だ。「クジラを捕っても良い ー いや食糧の持続性ということを考えると、捕った方が良い。ただしそれは金儲けのための捕鯨ではなく、環境を維持するための調査捕鯨。」これなら誰も反対しない、みんながハッピーと思われるのですが、どうでしょう?

あと本の中で面白かったのは、調査捕鯨に関わっている人たちへの温かいまなざし。

僕は動物についての権利について考えている人たちや、単純にクジラやイルカを愛する人たちに、彼ら科学者のことをもっと知ってもらいたいと願う。彼らとは別の形の真摯な情熱と愛情がここにはある。僕にはその思いの深さや強さが、欧米で自らの信念に基づいて冷静な動物愛護運動を展開している人たちのそれと同様に、崇高で称えられるべきものに思えるのだ。

これも全く私になかった視点だったので、とても新鮮でした。そうですよね。捕鯨に関わっている人が、誰しも意固地になって、金儲けだけ考えているはずがない。逮捕されたグリーンピース職員(7月半ばに釈放されたようです)に同情する心はまだあるけれど、色々な人たちの思いを公平に捉えないと、歩み寄らないと、こういう問題は解決できっこない。

アインシュタインは言いました。「問題を作り出した時と同じ思考では、その問題を解決することができない。(We can’t solve problems by using the same kind of thinking we used when we created them.)」世の中にある様々な問題は、今までの考え方の枠組みや常識にとらわれていたら解決することができない。Think outside of the box! 新しい独創的な考え方が求められている、というわけです。本には例えば、こんな箇所も。

「環境税はどう?国際的な管理の方法として有効だと思うんだけど。今、二酸化炭素の排出権というものを作って、それを各国がお金で買うというシステムが検討されているでしょう?そこで南氷洋のクジラに環境税をかけるわけ、一頭捕ったらいくらというふうに。そのお金は当然南氷洋の環境保全に使うことにしてね。こうなると相当の覚悟がないと捕鯨に取り組めなくなる。本気でやるなら、それくらいの覚悟がなきゃ」

調査捕鯨を内包しつつ、さらにそれを超克した環境捕鯨こそ求められるべきだ。その時のキーワードは「世界人類、地球環境への利益還元」だ。もしも捕鯨がそれを実現できるならば、有史以来不可逆的に海洋生態系を乱して来た水産業としては稀有な事例になる。「環境捕鯨」なんて荷が重たい言葉をあえて使うのは、新しい時代の自然と産業の共存のありかたの一つのモデルとなって欲しいからだ。

あとはこういうことを政策に盛り込んで行く手腕のある政治家・官僚がいれば良いのだけれど….福田さん辞任で本当にこの国の政治はどうなっちゃったの?と嘆かずにはいられません…あまりにも無責任すぎる。そして捕鯨に対して議論するこちらのサイトの狙いは素晴らしいのだけれど、どうしてこうも誹謗中傷めいたコメントがたくさん書き込まれてしまうんだろう…もう、びっくりです。捕鯨問題について、詳しく分かっている人としっかり議論したい。

サステナビリティー, 映画・本・音楽 |   

コメント (12) »

  1. 捕鯨には、環境・水産資源問題という側面と、
    それから野生生物とヒトの関係という側面があります。

    前者について言えば、川端さんの言うような環境捕鯨
    もありだと思う。持続可能な水産資源の利用。

    でも、鯨はやはり魚とは同じではないとも思う。
    「鯨がかわいそう」というと、「では牛はどう
    なんだ」という話になる。もちろん牛もかわいそう
    だ。どちらも、僕らヒトに近しい、高等な哺乳類
    だから。現に日本人は江戸時代までは四足の哺乳
    動物は仏教的な理由から食べなかったのだ。
    しかも、鯨は牛と違って家畜ではなく野生動物で
    あり、生態系のバランスの中で生きている。
    だから、私たちヒトの、他の動物へのモラルとして
    鯨を食べない、という選択があっていいと思う。
    先住民が行なってきた伝統捕鯨も、そうした野生へ
    の畏敬の念とモラルをもって行なわれる限りは
    あっていいと思う。
    しかし、そうした種間のモラルや畏敬の念などとは
    別の、資本主義システムの中での産業やビジネスと
    しての捕鯨を、野生高等哺乳動物を対象に行なう
    のは、僕はやめておいたほうがいいように思う。

    なんか微妙なコメントですが。

    コメント by ココペリ — 2008/9/2 Tuesday @ 9:41:46

  2. 私は小学校の給食で鯨カツ喰った世代

    当時の実家でも缶詰の鯨の大和煮は普通におかずの一品としてあった。
    たぶん安かったんだろう。

    後から知ったが、戦後しばらくは鯨肉は国民の動物性タンパク源として、国策的に重用視され、捕鯨も振興されていたようだ。

    その後、70s末頃大学で東京に出てきて、池袋駅前の定食屋、大戸屋(今のチェーン店の大戸屋の前身)のいちばん安いメニューがマルハ定食、昔給食で喰ったのと同じ黒っぽくて固い鯨カツ定食、たしか当時¥240だった。貧乏学生だったのでよく喰った。
    その頃の安居酒屋のメニューにも鯨ベーコンがあった。

    そんなこんなで1958生まれのオッサンの幼少期〜若い頃は鯨肉は当たり前に食い物だった気がする。
    その後捕鯨が規制され食材としてレアになって、でも逆にバブルで飽食してた頃は、結構旨い鯨刺とか尾の身のなんたらとか、高級品として味わった覚えもある。

    だけど今、別に鯨喰いたいと思わない。

    グリーンピースの捕鯨船攻撃とか泥棒しての告発とかの過激な行動はバカだと思うけど、鯨を食い物として考えるのはもはや違うと思う。
    いまや鯨にこだわらなくても旨い物はいっぱいある。

    だから、食い物としての鯨にこだわる人もバカに見える。

    大海に生きる雄大な生物は、そのままにしておけばいいと思う。そういう意味では、欧米人?の見解に近い感情なのかな?

    ここ何年か、家でCATVが見れるので地上波のうるさい番組が大嫌いな私はdiscoveryやanimal planetとかをよく見てる。
    これらは欧米人というかアメリカ人から見た自然観が思いっきり反映されている。

    鯨はこれらのプログラムではスーパースターの一員だ。
    ちょっと洗脳されたかな?

    コメント by biyoyon — 2008/9/2 Tuesday @ 12:29:41

  3. おひさしぶりです。kokoさん。わたしも、あれから、ずーーと、かんがえていて、電話で、父とはなしたりして、考えをまとめたかったのですが、、よかった、、わたしも、大体川端さんや、kokoさんと、おなじ、意見です。でも、英語で、これを説明するほどの、英語力と、日本語能力を、持っていません。(爆)
    なんだか、わたしのなかでも、これを読んで、考えが、ちょっとは、まとまってきたようで、うれしかったです。。わはっはあ。すみません。わけのわからない、文章になってきました。。

    コメント by のんちゃん — 2008/9/2 Tuesday @ 16:35:03

  4. ちゃんと取り上げて何度も考えてるのがいい。私も知らなかったことがたくさんあった。
    地球全体の対等な生物として「CO2を排出する権利」なんて誰も持ってないしましてや金銭で取引するのも変だと思う。
    確かに今の日本では食べ物がたくさんあるような錯覚もあるから捕鯨問題は国内では無関心な人が多い。
    人間は勝手に高等な生き物だと思い込んでるだけで、世界中で紛争が絶えないのは賢くないからだと思う。
    人類に叡智が伝染するウィルスはないのか。

    コメント by 塩ちゃん — 2008/9/3 Wednesday @ 3:43:42

  5. MIXIでこんなクジラ論争をした事があります。
    色々な価値観があり、倫理観があります。当然色んな意見があってもいいと思います。

    時間があったら見てもらえますか?

    http://mixi.jp/view_diary.pl?id=730349018&owner_id=2839624

    この意見、この価値観が正しいと誰が判断できるのでしょうか?クジラを食べずに牛を食べる人は倫理的で環境にもやさしいのでしょうか?さらにベジタリアンだともっと地球の環境に優しいと果たして言い切れるのでしょうか?地球に住む人間が全員ベジタリアンになったらその野菜を作る農地はどうやって補われるのでしょうか?

    全てはバランスですよね。では誰がその良し悪しをジャッジしているのか?お金や力を持っている人は世論をうまくコントロールできます。商業捕鯨の会社を悪者にするくらいは朝飯前の人達だったりするのかなーなんて考えると切ないですね。

    難しい問題です。

    コメント by YUKI — 2008/9/3 Wednesday @ 6:37:17

  6. kokoさん、Yukiさん

    nobuさんの紹介で記事読みました。
    文章を読んでいて、GAIA Symphony No4で見た、
    ジェーン・グドール博士を思い出しました。

    彼女がアフリカでおらうーたんの保護活動をしている場面。
    地元の人たちとおらうーたん全頭を把握し、
    その日のおらうーたん達の動きを全て記録し続けている作業。

    そうした綿密な調査が、保護として一つの手段なのだと
    知りました。
    鯨は如何に?

    また、DAYS JAPANの2008年5月号か6月号で見た、
    ゴリラの殺害写真。
    環境レンジャー達が、殺されたゴリラを担いで運んでいる。
    ゴリラに対する敬愛から、とても厳粛な雰囲気。

    私は極端な者なので、この夏から蚊を殺さなくなりました。
    ダライラマや、サティシュクマールのお母さんの
    教えに感化されました。
    たくさんの命を頂きながら生きているので、
    それを自覚しながらなるべく不殺生。

    蚊の役割って何だろう。
    人間同士でDNA情報を媒介していたりして。

    鯨を食べたい人もいると思います。
    鯨の命も私の命も、そんなに変わらない。

    Yukiさん紹介のmixi読みました。
    http://mixi.jp/view_diary.pl?id=730349018&owner_id=2839624
    捕鯨についての文章だったけれど、
    「超キワドイビキニ一丁の背中とお腹にNo Nuclearと書いて演説を始め、とうとう逮捕された。」
    すごい!↑

    Kotaroさんが2008年03月01日に紹介下さった
    プロパガンダバスターYoutube動画も見ました。
    http://jp.youtube.com/watch?v=Gy9PkuzmIWU&watch_response
    グリーンピース船が日本の船に突っ込んでいますね?

    捕鯨をしたい業者や消費者の話をまだ十分聞けていませんし、日本の捕鯨文化(?)とその歴史についても
    まだわかっていませんが、捕鯨はせずに、保護の為に調査をするのが、ベジタリアンな私の落ち着き所。

    皆様またいろいろ教えて下さいませ。

    コメント by 豊田義信 — 2008/9/3 Wednesday @ 19:35:56

  7. できることなら、すべての人がベジタリアン、ヴィーガンになった方が良いと思う。
    食用に使われる家畜に与えてる穀物、野菜などの量は莫大で、世界中の飢えをなくせるほどの量を使っているのは事実です。
    人間は、基本的に菜食な生き物です。雑食ではないと思う。。。
    その昔知性が生まれ火を使い出す前は人間はもっと本能的だったので、完全菜食をしてた事も知られています。
    インドに行った時に道を歩く牛を見ていたら、プラスティックとガラス以外の物は全部食べてました。段ボールでも、あらゆるゴミでもなにもかも。だけど、本来牛は草食動物です。人間の社会の中に生きているから、本来の自然の行動をしなくなっていると思うのです。そしてバランスをくずした人間やペット可した動物達は成人病やガンになったり、自殺するなど本能で生きてる野生動物には見られない行動を起こしたりもします。
    これは深刻な問題です、病気になりたくない薬も飲みたくない。…だけど、この人間社会の中でどうやってみんなが本能的に生き続けられるか。。
    この頃、私は諦めたのか、混乱した今ある問題、現象すべてが自然なんじゃないかと思えます。
    本来の姿ではないとはいえ、ばかな事をしているこれも自然なんだと思ってしまいます。
    こういう事に触れて、自分の生き方を見つめ直す事も良い事だし、インドの牛のように何も考えず(わかりませんが)ただ何となく生きるのもまた自然だと思いました。インドでは、牛は神様のような存在で生まれ変わりの最後には人間ではなく牛になると信じられていました。

    コメント by el — 2008/9/3 Wednesday @ 19:37:12

  8. みなさん、建設的な色々なご意見、どうもありがとうございます!
    言い訳じゃないんですが、今テラが夏風邪で3日間ぐらい発熱中…なので私も夜中起こされたりであまり頭がスッキリしてない状況なんですが、この話、とても気になっているので早めにレスします。

    >ココペリさん
    言っていることは良く分かります。ただこのブログを見てメールをくれた友達は、こんな風に書いていました。「動物の高等か下等かってのをどうやって決めるのはよくわからんが、後から下等だったものが高等になる可能性ってのは振り返ると多大にあるし、そんなもの誰にも評価できないからこれもまた疑問。一番高等なのは人間?自分で飛ぶこともできない、大して水にも潜れず、大した距離も泳げず、土にももぐれない、夜目も利かず、サバンナにほいと置かれたらあっという間い死んじゃいそうなのに・・・。カテゴライズすることで安心してしまうことはとても怖くないかい?基本みんな一緒です。」 それから、豊田君の意見のように、「私は極端な者なので、この夏から蚊を殺さなくなりました。ダライラマや、サティシュクマールのお母さんの教えに感化されました。たくさんの命を頂きながら生きているので、それを自覚しながらなるべく不殺生。」という人もいます。何が高等動物か、というのは、人によって様々な考え方があるのでは、と思いました。

    >biyoyon
    おー、コメントありがとうございます!私も小学校の給食でクジラを食べていました。クジラの立田揚げ、美味しかったのを覚えています。

    欧米では、確かにクジラやイルカは崇高な生物として扱われていますよね。「新しい生命倫理」と言うべきか。鯨類と精神世界について論じたものや、イルカの神秘的なヒーリング効果を扱ったものなど。そして同じスタイルの都市生活者を多く抱える日本のような国でも欧米の考え方は非常に受け入れられやすい素地が出来ている。biyoyonさんが「洗脳」されたように。

    で、ここからは川端さんの本からまた引用したいんですが。「しかし、だ。僕はここでも落ちこぼれてしまうのだ。僕は新しい生命倫理の文脈で捕鯨に反対する人たchの議論を読んだり、聞いたりするたびに「ねぇねぇ、ちょっと待ってよ。そいつはあまりにも一方的すぎない?これはヒトと動物の間の営みなんだから、もう少しヒトのことも考えてくれない?」そんなふうに言いたくなってしまう。そんな僕が立っている場所というのは、結局は環境保護の文脈、それも保護しつつ持続的に利用するという古くて新しい永遠のテーマの中にしかない。しかし、普遍的な基盤を持っているはずのこの考えの中でもことクジラに関しては様々な立場があり、一概にどれが正しいとは僕には言えない。クジラが好きかと聞かれれば、誰もがイエスと答える。僕が知っているクジラを巡る人々全員が間違いなく「クジラを愛する人たち」だ。クジラ捕りも動物愛護活動家もそして調査捕鯨の調査員たちも、もちろん僕も。その「好き」にこめられた、様々な文脈、あやの微妙さが僕の中でそのまま渦巻いているようだった。」

    私も全く同じ気持ちです。

    >のんちゃん
    お久しぶり!ねー、なんだか私もすっきり整理された気持ちではあります。

    >塩ちゃん
    本当ですね。人類に叡智が伝染する新種のウィルス。出てこないかな。

    >YUKI
    まさしく。YUKIさんのこのmixiのやり取り、以前に読んでジーンときた覚えがありました。かなりYUKIさんの意見に同感。クジラ問題はすごく難しいし、色々な立場の人たちがいるので一概に言えないけれど、私もYUKIさんが言うように、やっぱり最終的には「バランス」かな、と思う。以前書いたエントリーは、Kotaroさんが言ってるように「環境右翼」めいていて、恥ずかしいわ!Shuさんがすすめていた、小松正之さんの著作も読んでみたいところです。伝統捕鯨について、まだ良く分かっていないので。あとwataさんがいっていたように、ちょっと自分の主張を置いておいて、建設的な議論をする必要があるな、とつくづく思います。クジラ問題に限らずね。

    >義信くん
    サティシュ・クマールのお母様、ジャイナ教だったよね。素晴らしい教えだよね。私も彼の自伝を読んで、心に響いた事を覚えています。一点だけ。「捕鯨はせずに、保護の為に調査をする」と書いてるけど、日本政府の見解としては、調査をするためには、捕鯨をしなくてはならない(クジラを殺さなくては分からない調査もある)。殺した限りは肉等も100%有効利用する」ってことなんだよね。だから調査するためには、何頭かは殺さなくてはならない。それが一部の人たち(特に欧米人からは)「調査の域を超えている!撮り過ぎだ!」と言われている。そこらへの判断は….??? 私たち専門家には分からないかもしれないし、YUKIちゃんが言うように、人それぞれの価値観なのかな、と思います。

    >el
    クジラ問題から派生して、広がりのある貴重な意見をどうもありがとうです。そうですねー昨今の様々な現状を鑑みると、これも自然、全ては自然の流れに身を任せるしかない、と半ば諦め?の境地に達しますよね。そうしないと、本当にバランスを欠いてしまうから、全てをあるがままに受け入れようと。でも本当にそこから色々な新しい方向性が見えてくるような気がします。
    一点だけ:ベジタリアンであれば、全ての問題が解決するのか?と思う。YUKIちゃんが書いているように、「さらにベジタリアンだともっと地球の環境に優しいと果たして言い切れるのでしょうか?地球に住む人間が全員ベジタリアンになったらその野菜を作る農地はどうやって補われるのでしょうか?」と私も考えてしまいます。でもベジタリアンだと、精神的にやはり健全だ、というようなことは言えると思うし、「ベジタリアンの社会はこれだけ安定、反映した」みたいなことが分かる調査結果とかあったら面白いですよね。

    みなさん、貴重なご意見、本当にありがとうございます。

    コメント by koko — 2008/9/4 Thursday @ 7:07:55

  9. http://ttchopper.blog.ocn.ne.jp/leviathan/2007/04/post_90b7.html
    その後の川端氏の考え、その変遷の一部をブログで読むことができます。

    川端さんが読んでいる本を私も読みました。日本にも捕鯨のために動いている官僚がいますが、現在はそもそも国内に鯨食市場がなく、鯨肉もだぶついているため、目に見える効果が出ていません。そもそも、ほんとうに商業捕鯨を復活させたいのか。だれがそれをやりたいのか。という点で疑問があります。

    コメント by enzi — 2008/9/5 Friday @ 21:14:00

  10. なんかね。

    私はその昔クジラが好きで好きでしかたなかった時代があったんだけど、
    そのときから、捕鯨には関心があった。

    星野道夫の影響をもろに受けていますが

    彼の写真の中に小さなリード(氷の中にできる海と外をつなげる穴)の中に一頭のクジラが迷い込んで出られなくなってしまった。これを世界中の動物愛護協会の人等が必死に救出する様をテレビ等で中継したそうだが、
    彼のコメントでは(記憶のみなので定かではないけど)

    昔はこの一頭のくじらはエスキモー(イヌイット)の人たちにとっては海からの贈り物だった

    というようなことが書いてあった。

    私はうまくはいえないけれど、本当の意味での共存というのはそういうことのような気がする。
    今の世の中はおかしなことばかりで食べてるものも本当に食べ物なのかな?と思うようなこともあるけど、
    そんな時代に純粋にクジラを愛して漁をしている人というのも認めるべきではないかと思う。
    今、クジラが必要か、どうか、より
    クジラと共存するために捕る、ということもあるのではなかと思うのでした。

    また、ベジタリアンの考え方で
    動物はかわいそうだから、というのがどうも理解できない。
    では、穀物野菜などには心はないのか?
    どちらにせよ、祈り感謝して還元していくことを考えるべきではないのかと
    思ってしまう。
    精神上だったり、体のことを考えてのベジタリアンには反論なしだが、
    どうも、かわいそう、という観念でのベジタリアンは納得できない。

    コメント by fuerico — 2008/9/9 Tuesday @ 19:08:18

  11. >enziさん
    ガーーーン!川端さんがその後どう感じているのかを検索したのだけれど、わからずじまいで、このサイトは知らなかった。本当にありがとうございます!しかし私の中では「持続可能な捕鯨」ということで落ち着いていたのに、川端さんは獲る必要ないって??うーん。なんだか振り出しにもどった気分。ちょっと彼のブログにもコメントしてみます。

    >fuerico
    コメント出来ないということでメール頂いてたもの、こちらにアップしました。大丈夫だよね?コメントは同感です。愛して行なう捕鯨。全てにおいて愛があれば良いのだと思う。

    コメント by koko — 2008/9/9 Tuesday @ 19:11:04

  12. kokoさん

    今更ながら現在の川端さんの意見をみたよ!
    なにやら、何があったのか、はっきりノー!と言っている。
    この星川さんの本、読んでみようと思います。
    すごく、捕鯨に関わる人たちが時代遅れみたいな、悲しい存在に思えてきた。
    また、マークだっけ?残酷なドキュメンタリーを作った、、、。
    それにちかい裏切られたような気持ちにもなった。
    けど、もう一度わたしも調べ考え直すときなのかもと思います。

    捕鯨論は変化する。。。

    コメント by fuerico — 2008/11/21 Friday @ 9:49:34

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